勝負と対立

2024-1121 615文字

なぜ人は対立するのか?勝負するのか?

それには以下の理由が考えられる。

  1. 資源の有限性
  2. 自分以外の存在を区別するシステムとして完成されているから

もしこの両方が消滅したらどうだろうか?

1-1.資源が無限にある

2-1.自分以外の存在を区別するシステムが他に存在する

2-2.自分以外の存在を区別するシステムは存在しなくてもいい理由が存在する

 

1-1に関しては、資源を食い尽くそうとする意思が存在するのでありえないことかもしれない。

資源を食い尽くそうとする意思をコントロールする必要性?

 

2-1.に関しては存在を区別するが優劣をつけないということになる。対象を実数に射影しないで区別するにはどうしたらいいのか?実数以外への写像を考えればそれでいいのか?しかしそういったものをわかりやすくするため、結局は実数に射影する必要がある。

 

 

2-2.に関しては、区別しなくて相互作用の流れに異常が生じないということになる。例えば原子の自然運動などがそうだろう。しかし生物に関しては、もし区別がなくなったとすれば、「長い構造化された流れ」に異常をきたすことは間違いないだろう。「~には~を割り当てる」の重なりで社会は成り立っているからだ。

つまり、2-2.はありえない。

 

ここまでの考察に基づけば、十分な資源があり、資源を食い尽くす意思をコントロールする仕組みがあり、実数への射影をする意思を持たないほどの認識システムがあれば、対立や勝負は存在しなくなるのかも知れない。

 

 

 

 

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